アメトークに初登場し、その独特の個性で世間に強烈なインパクトを与えたティモンディ高岸宏行さん。
そんな高岸宏行さんですが、実は高校時代はあの野球の名門済美高校でバリバリのレギュラーだった経歴があります。
今のキャラクターからは全く想像がつかないですが・・・(笑)
今回は、そんなティモンディ高岸宏行さんの済美高校時代について詳しくお伝えしたいと思います。
目次
ブレイク必至のティモンディ高岸
- 名前:高岸宏行(たかぎし ひろゆき)
- 出身地:京都府
- 生年月日:1992年10月8日
- 血液型:A型
一度見たら忘れられないその強烈なキャラ
2015年1月に現在の相方である前田裕太さんと結成したティモンディ。
結成4年にしてその独特で強烈すぎるキャラクターで人気沸騰中の高岸宏行さん。
アメトークの「スポーツ推薦芸人」でアメトークに初登場し世間に大きな爪痕を残しました。
その独特の喋り方に、一瞬で場の空気を変えるほどのその強烈な個性はオードリーの春日さんの初登場を彷彿とさせます。
今後ますます人気が出ていくこと間違いなしの今第注目のお笑い芸人です。
名門・愛媛県済美高校出身で元プロ野球の注目選手だったティモンディ高岸
全国屈指の野球強豪校の済美高校でレギュラー
さて、高岸宏行さんの在籍した済美高校は高校野球ファンなら知らない人はいないであろう野球の強豪校。
元ヤクルトの鵜久森淳志選手・広島カープの福井優也選手、楽天の安楽智大選手など
沢山のプロ野球選手も輩出。
2004年4月、第76回選抜高等学校野球大会において史上最速の創部3年目にして初出場・初優勝して以来、春夏合わせて10回近くの甲子園に出場する愛媛県を代表する名門校です。
そんな強豪校でレギュラー選手だった高岸宏行さんの実力は言わずもがな。
相当な野球の実力だったことが伺えます。
滋賀県からの野球留学で済美に野球推薦で入学
高岸宏行さんは滋賀県出身。
中学は滋賀県大津市にある「大津市立青山中学校」です。
この中学校は1998年に開校した比較的新しい中学校。
高岸宏行さんが1992年10月8日生まれの26歳ですので、10年前程前に通っていた事になります。
出身は京都府ですので、小学校ぐらいの時期にお引越しされたのかもしれませんね。
当時の済美高校野球部のファンの掲示板の情報では、中学の軟式野球部に所属せずに、滋賀県の草津にある中学軟式野球チームの湖南クラブに所属。
中学生ながら身長180cmはあり、軟式ながら、中学時代にすでに 135キロ出ていたみたいです。
(中学の軟式で135って相当ヤバいですね….)
高校進学にあたって、近江や平安など8校ほどの強豪から野球推薦がきていたとアメトークで語っていました。
済美への入学の決めては中学時代の先輩が済美に入っていたので入学を決めたそうです。
余談ですがちょっと顔が田中将大投手に似てますね!
済美高校時代の投球動画
こちらが済美高校時代の高岸宏行さんの投球。
185cm85kgという恵まれた体格を活かして、野手ながら投手もしていました。
3年の最後の夏の2010年の第92回愛媛県予選の準々決勝での登板。
背番号7を付けて、メインは野手で控え投手としても活躍しています。
投球フォームも田中将大投手に非常によく似ていますね!
しかし、控え投手ながら、140km近い球を投げる高岸宏行さん。
実力的には申し分なく、Wエースのような立ち位置だったのでしょうね。
済美じゃなかったらまず間違いなくエースの実力です。
阪神とヤクルトのスカウトからも注目!?
そんな高岸宏行さんですが、高校時代にはMax147kmの速球を投げ、高校通算HRも20本の活躍。
その実力に阪神タイガースとヤクルトスワローズのスカウトから声がかかっていたそうです。
『プロ志望届を出してくれたら、育成で指名するかも』とまで言われていたそうですが、当時の監督であった今は亡き上甲監督から、上に進むことを助言され、東洋大学へと進みました。
--野球の実力は相当なもの
高岸「投手で最速147キロ出たし、ホームランも20本打ちました。ヤクルトと阪神のスカウトの方から、『プロ志望届を出してくれたら、育成で指名するかも』と言われたんですが、2年前に亡くなられた上甲監督に『大学行って、確実に上位で指名されるようになってから行った方がいいんちゃうか』と言われて、大学に進学しました」
甲子園の土は踏めなかった不遇の済美高校時代
そんな名門・済美高校で高校時代を送った高岸宏行さん。
意外なことに、選手として甲子園の土を踏んだ経験はありません。
1年生の夏はチームは甲子園に出場しましたが自身はアルプスでの応援。
2年生からは控え投手兼野手としてレギュラーとして活躍しましたが、決勝で西条高校に13 – 2で破れています。
3年次も決勝戦に進みますが宇和島東に3 – 2で破れています。
この時は選抜にも出場していないので、3年間で甲子園の土は踏めずじまいだったということになります。
ティモンディ高岸の済美高校時代の野球エピソード
そんなティモンディ高岸宏行さんですが、済美高校でのエピソードもテレビで数々披露しています。
先輩なのに安樂2世?w
済美高校出身の有名選手といえば、2014年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに1位指名を受けた安樂智大選手を思い浮かべる人が多いでしょう。
この安樂智大選手と高岸宏行さんはちょうど入れ違いだったみたいで、一緒にプレーしたことはなかったみたいです。
しかし、安樂智大選手と高岸宏行さんの身長と体重が一緒だったことから後輩たちに先輩なのに「安樂2世」と呼ばれていたというエピソードを披露していました(笑)
先輩なのに2世とかw
高岸宏行さんの当時の部内でのキャラクラーが伺えますね(笑)
済美高校時代は西川遥輝とも対戦
ティモンディ高岸、西川遥輝さんと対戦したん、、、、、、、、、やば、、、、、、、急に名前出てビビった、、、、、、ブレブレ、、、、、、、、、、 pic.twitter.com/uPBKF2vPvq
— の (@clemnosy7_king) 2019年8月1日
強豪校だった済美高校はもちろん、数々の野球強豪校とも練習試合を行なってきたみたいです。
その中でも印象に残っている試合が、高岸宏行さんと同じ年の現在日本ハムファイターズで活躍する西川遥輝選手。
西川投手に投じた145kmの直球が内角にすっぽ抜けてしまい「ヤバい!当たる」とデッドボールを確信したその瞬間、腰をうまく回転させてそのままライトスタンドに放り込まれたというエピソードを語っていました。
やはり、プロになるような選手は高校時代からずば抜けたものがありますね(笑)
済美高校の日常エピソード
また、自身のyoutubeで当時の学校生活についてこのように語っています。
- 高岸さんと前田さんは県外生だったので寮生活だったが、ほとんどの時間をグランドで過ごし、寮は寝るだけ
- 刑務所みたいな地獄の寮生活だった
- 練習がきつすぎて食べても食べても痩せていく
- 高岸さんは勉強が全くダメで4期連続数学が0点だった
- 高岸さんの口癖『やればできる』は済美高校の校歌の『やればできるは魔法の合言葉』から借りたもので、自分自身この校訓で勇気をもらったのでみんなに伝えたくて使っている
- 寮生活で情報が入ってこないのでAKB48の会いたかったも卒業した後に知った
- 一緒に同じ部屋でよく尾崎豊を聴きながら元気をもらっていた
非常に過酷な学校生活を過ごしていたようで、その話しぶりからもその当時の過酷ぶりが伺えます….。
これだけの高校生活でも甲子園に行けないというのがいかに甲子園が狭き門なのかが伺えますね。
済美高校の挨拶がヤバい
いつなん時でも、監督や先輩がいたら「おはようございます、今日もよろしくお願いします!!」と挨拶しなければならない 〜お葬式ver.〜😂😂
ティモンディ高岸さんなんなん😂#アメトーーク #スポーツ推薦芸人 pic.twitter.com/29SHYyMWS2— ryo (@ryooooow) 2019年8月1日
済美高校はとにかく「挨拶」が独特だったと語る高岸宏行さん。
構内でも先輩や監督を見たら、独特の大声で挨拶をしていたと語ります。
これは今は亡き、済美高校の元監督・上甲正典さんの名護だそうで・・・
「『は』は本気じゃない、本気の返事は『あっ!』」とのこと。
だから、『はいっ!』ではなく『あいっ!』
済美高校の返事は特殊すぎる『あいっ!』
もう何て言ってるのか理解不能なレベルに(笑)
しかし、この時の挨拶は今のお笑いに活きているのだそうですw
--やはり強豪校の練習はきつかった
高岸「入部して1カ月は『はい』『おはようございます』『お願いします』のあいさつの声をそろえる練習を毎日、朝から晩まで。ボールは使わせてもらえないです。『済美高あいさつ部』ですよ。携帯電話を持ってはいけないし、女の子としゃっべたらあかんかった」
--済美での苦しい練習の日々は、お笑いに生かされている
高岸「先輩芸人によく、『ツッコミの声がドスが利いている』と言われるんですけれど、野球部時代のあいさつ練習が生かされているんじゃないかと」
今の芸人としての基礎は済美高校時代の野球で培われたティモンディ高岸
元プロ注までの実力だった高岸宏行さん。
その後、野球推薦で野球の名門である東洋大学に進むも、肩の故障で退部することに。
残念ながら、プロ野球選手という道は途絶えてしまいましたが、その経験は決して無駄ではないと思います。
今回のティモンディ高岸宏行を世に知らしめたアメトークも「スポーツ推薦芸人」
という済美高校での経験があったからこそ出演が叶ったこと。
この「野球」というツールは今の芸人生活においても、ティモンディを語る上で「核」になっているものでもありますし、その高校野球で培われた精神力は過酷な芸人生活での大きな糧になっているのではないでしょうか。
プロ野球選手として夢が叶わなかった分、芸人として大きな花を咲かせてもらいたいですね!