小学生や中学生のころの国語の授業を覚えていますか?筆者は国語の授業が一番好きだったこともあり、その中で学んだ小説のことを大人になった今でも思い出します。
当時を思い返してみると、「クラムボンはカプカプ笑ったよ」とか「その声は李徴子ではないか」など作品のセリフや一文にハマり、クラスみんなで顔を合わせるたび挨拶のように口にしていました。いつの間にかちょっとしたミームのようになり、幼馴染と顔を合わせると当時のようにそのセリフを言い合うなんてこともあります。
このセリフ聞いたことあるな、こういう物語なかったっけ?とふいに思い出したくなるのが幼少期に読んだ小説の魅力。今回は大人になっても楽しめる国語の教科書に載っていた小説・物語をご紹介していきます。
目次
国語の教科書は名作揃い!
学校の教科書には、子供たちに学びを与える作品が厳選されています。大人になって小説が読みたくなったけれど何を読んだらいいかわからない!そんな時は国語の教科書の小説を読むのがおすすめです。
子供たちにもわかりやすくあまり難しすぎないものが多いですが、大人になってから読むとまた印象が変わるものばかりとなっています。
作品を思い出すきっかけとして小説の個人的に印象深い部分を抜粋しながらご紹介いたします。
小学二年生「スーホの白い馬」
「そんなとき、がっきの音は、ますますうつくしくひびき、聞く人の心をゆりうごかすのでした。」
大塚勇三氏が1967年に出版したスーホの白い馬は、挿絵付きで教科書に載っていました。そのため、挿絵を見れば「これか〜!」となる人も多いのではないでしょうか。また、「馬頭琴」というワードと物語終盤の印象が強い人もいるでしょう。スーホの悔しさや切なさの表現が秀逸な作品です。
モンゴルに暮らす、スーホという羊飼いの少年はおばあさんと2人で貧しい生活を送ってきました。あるとき、スーホは白い馬を拾ってきます。彼は馬とすぐ仲良くなり、毎日楽しく暮らしていました。そんなときスーホの村の殿様が競馬大会を行う事にしました。スーホは仲間の口添えもあり、競馬大会に出場したところ、見事優勝。殿様は銀貨を与えるから馬を置いて行けと言います。逆らえないスーホは暴力を振るわれ、、渋々馬を殿様に渡します‥‥‥
小学二年生「お手紙」
「今、一日のうちのかなしい時なんだ。
つまり、お手紙をまつ時間なんだ。
そうなると、いつもぼく、とてもふしあわせな気もちになるんだよ。」
アーノルド・ローベルが1972年に出版した「ふたりはともだち」という作品の中にある「お手紙」は小学校二年生の教科書に載っています。温かみのある挿絵と共に、柔らかい言葉使いでシンプルな優しさを感じることが出来る作品です。「がまくん」「かえるくん」という呼び方に聞き覚えのある人もいるのではないでしょうか。
がまくんは、玄関の前に座っていました。そこへかえるくんがやってきて「どうしたんだい?」と問いかけます。悲しそうな様子のがまくんを心配し、かえるくんはがまくんの話を聞くことにしました。お手紙を一度ももらったことがないがまくんは、お手紙を待つ時が一番不幸せになるといいます。その話を聞いたかえるくんは急いで家に帰り、がまくんへ手紙を書くのでした。書いた手紙をかたつむりくんに郵便受けに入れてもらうようにお願いし、がまくんのもとへ戻ります。そしてお手紙が来るかもしれないとはげまし、その手紙は自分が書いたことを打ち明けるのでした‥‥‥
小学三年生「ちいちゃんのかげおくり」
「なあんだ。みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」
小学校三年生の教科書に載っていたちいちゃんのかげおくりは、太平洋戦争末期のことを描いた物語であり、幼少期の子供が一番初めに戦争について触れる機会ともいえるでしょう。戦争という難しいテーマですがあまんきみこ氏の優しい文章でその悲惨さを伝えてくれています。学習する子供たちと同じくらいの子供であるちいちゃん目線で戦争を語る名作です。
ちいちゃんは、父・母・兄と暮らす4人家族です。ある日父が徴兵される事になり、出征する前日、家族で先祖の墓参りへと赴きます。その帰り道に青空を見上げた父が「影送りができそうだ」といいました。家族4人で影送りをし、その影送りは記念写真のようでした。戦禍がひどくなる中、夏の夜に空襲警報が鳴りひびき、ちいちゃんと母、兄は避難しました。ですが逃げる途中で、ちいちゃんは家族とはぐれてしまいます‥‥‥
小学四年生「ごんぎつね」
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
兵十は、火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
新美南吉作の児童文学として有名なごんぎつね。「ごんおまいだったのか」のフレーズだけでも覚えている人は多いのではないでしょうか。当時はごんにばかり同情していましたが大人になってから読むと兵十の気持ちにも共感でき、新しい見方が出来ます。
イタズラばかりしている小ぎつねのごんはある日、兵十が川で魚を捕っているのを見つけます。イタズラ心から 彼が捕った魚やウナギを逃がし、その様子を見て笑っていました。それから十日ほど後に兵十の母は亡くなり、ごんはウナギを逃がしてしまったことを後悔します。その償いに鰯、栗や松茸などを兵十の家に届け続けるのでした。しばらくしてごんが家に入ってきたことに気づいた兵十は火縄銃を手に取るのでした……
小学五年生「大造じいさんとガン」
「おれたちは また どうどうと たたかおうじゃあないか」
椋鳩十による童話である「大造じいさんとガン」は老狩人と利口な鳥であるガンの知恵比べの様子を描いた作品となっています。昔ながらの言葉遣いや名称が出てきますが、その熱い展開にワクワクしながら読めるのではないでしょうか。狩る者と狩られる者に芽生える、不思議な友情を感じる作品です。
猟師の大造じいさんは両翼に白い模様のある「残雪」と呼ばれるガンを仕留めるべく日々奮闘していました。残雪は非常に賢い鳥なので数年は残雪の圧勝が続いています。しかしある年、大造じいさんは頭を使った奇策を思いつきます。そのわなを仕掛けようとしているところにハヤブサの襲撃で事態は一変していきます‥‥‥
小学六年生「やまなし」
「クラムボンはわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
「クラムボンは跳はねてわらったよ。」
「クラムボンはかぷかぷわらったよ。」
独特の感性と言葉選びで幻想的な世界へ連れて行ってくれる宮沢賢治の作品である「やまなし」。この作品は蟹の親子の日常の物語となっています。きらきらとした川底の美しさが広がる描写が見どころとなっています。「ラムネの瓶の月光」「天井の波」といった美しい表現がたまりません。
あらすじ
蟹の兄弟が、川底でクラムボンについて話をしています。日常的な風景の中、天井を泳いでいた魚が、突然飛び込んできた何者かに食べられてしまいました。
蟹の兄弟が恐ろしさに震えていると父親の蟹がやってきてそれはかわせみであると教えてくれるのでした‥‥‥
中学一年生「少年の日の思い出」
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
少年の日に犯してしまった罪を思い出す、ちょっぴり切なく苦しくなるヘルマン・ヘッセの作品。最後の主人公の行動に幼心ながら哀しい気持ちになったのをよく覚えています。中学生の時にはエーミールが嫌な奴だと思っていましたが大人になってから読むと主人公もなかなか酷いことをしていたと気づかされます。罪の意識について問いかける名作です。
エーミールの「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」がちょっとしたトラウマになっている人もいるのではないでしょうか。
彼は少年だった頃の苦い思い出を語りはじめます。幼少期、チョウやガの収集をしており、それに熱中していました。中庭の向こうに住んでいたエーミールも同じくチョウやガを収集しており、彼のことをあまり良く思っていませんでした。そして、エーミールが捕まえたヤママユガは彼が最も欲しいと思っていたガなのでした‥‥‥
中学二年生「盆土産」
揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。かむと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯ごたえで、この辺りでくるみ味といっているえもいわれないうまさが口の中に広がった。
三浦哲朗氏の小説で、ある地方に住む家族の「お盆の時期の二日間」の出来事や様子を描いた物語となっています。リアルな情景描写と、主人公の少年の心理描写が繊細に描かれた作品となっています。えびフライという現代では何気なく食べるものをとても大切に、特別なものとして描いているのが特徴的です。筆者は、えびフライが苦手でしたがこの小説を読んでから食べられるようになりました。
東北地方の田舎に住む少年は姉と祖母と住んでいます。東京の工事現場で働いている父は、「えびフライ」を土産に盆に帰ってくるといいます。聞きなれないえびフライという単語に少年は頭の中がいっぱいになります。帰ってきた父の土産袋を開け、いよいよ待ちに待ったえびフライと対面します‥‥‥
中学三年生「握手」
ルロイ修道士は壁の時計を見上げて、
「汽車が待っています。」
と言い、右の人さし指に中指をからめて掲げた。これは「幸運を祈る」「しっかりおやり」という意味の、ルロイ修道士の指言葉だった。
井上ひさし氏の小説である「握手」は中学三年生の教科書に載っていました。少年がルロイ修道士に再会するお話で、彼のハンドサインが特徴的だったので覚えている人もいるのではないでしょうか。ルロイ修道士の人柄についてのテスト問題が多かった印象があります。ルロイ修道士のハンドサインを良くクラスで真似していました。
あらすじ
主人公は西洋料理店で、ルロイ修道士と再会します。
ルロイ修道士は児童養護施設の園長をしており、主人公もその施設で育ちました。
彼はよく指で感情を表していました。右の親指を立てるのは「わかった」という意味、両手の人さし指を交差させ打ちつけるのは「お前は悪い子だ」という意味。過去を回想しながら2人は思い出話に花を咲かせるのでした。
しばらくして主人公はルロイ修道士と握手をし、別れます。その後ルロイ修道士は亡くなりました。再会した時には既に病に侵されていたというルロイ修道士のことを葬式で気化され、別れ際の握手が弱々しかったことに思いを馳せるのでした‥‥‥
中学三年生「山月記」
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。
中島敦の短編小説でもある「山月記」。ひとりの男が虎になり、かつての友人と再会するというストーリーに驚いた人も多いのではないでしょうか。また、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というワードで国語の問題を出された印象もあるのではないでしょうか。中島敦の名作ともいえるこの小説は、大人になった今だからこそ読みたい一作です。
唐の時代の中国。博学で多才な李徴は官職を退いて詩家となります。しかし自尊心の高さから何をしても現状に満足できず、自分自身のことを許せなくなった李徴はあるとき虎になってしまうのでした。
その後、偶然かつての友人・袁傪が山へやってきたところ、虎の姿の李徴と再会します。そこで李徴は、人間だった頃を思い出し、自分の行動を振り返るのでした。そして、袁傪との会話をしていき、彼は心の内を袁傪に伝えるのでした‥‥‥
大人になったからこそ味わいなおしてみてはいかがでしょうか
義務教育期間の教科書に載っていた小説と物語を10つ、紹介してみました。
国語の教科書で小説に初めて触れた人、国語の教科書で最後に小説に触れた人がいるでしょう。そんな人にこそ、改めて国語の教科書に載っていた小説を読んで欲しいと思います。
過去に一度読んだことがあるとするする文章を読むことが出来ます。大人になった今だからこそ、子供のころとは違う視点で小説や物語を楽しめます。
ちょっとノスタルジックな気持ちにもなれるので、是非気になるものがあったら読んでみて下さいね。