赤西仁の現在は中国で歌手活動が大成功!?映画にも出演し俳優でも活躍!

赤西仁の現在は中国で歌手活動が大成功!?映画にも出演し俳優でも活躍!

2010年にジャニーズ事務所を電撃退社。

その後2012年には女優の黒木メイサさんとの電撃結婚など、色々世間を騒がせた赤西仁。

ジャニーズ事務所を電撃退社してからというもの、テレビではあまり見かけなくなり、一体現在はどんな活動をしているの?

なんて気になる方も多いはず。

実は赤西仁さんの現在は中国で活躍され、日本の時よりも更にスケールがアップした活躍をしています。

今回は、そんな赤西仁さんの現在の活動についてご紹介したいと思います。

2010年にジャニーズを電撃退社した元KAT-TUNの赤西仁

プロフィール

名前:赤西仁
生年月日:1984年7月4日
出身地:東京都江東区
活動内容: 歌手、タレント、俳優、シンガーソングライター
所属グループ:JINTAKA
事務所:Go Good Records(個人事務所)
家族構成:妻(黒木メイサ)子供(一男一女)

1998年11月8日、ジャニーズ事務所のオーディションを受けた赤西仁さん。

オーディションに落ちてしまったのですが、付けていた名札を返した相手が偶然ジャニー喜多川社長で、その名札の番号がNo.1だったため、「YOUも残っちゃいなよ。」と言われ合格した話は有名です。

本当人生って分からないもんですよね。

ジャニーズ退社は方向性の違い

世間ではジャニーズ事務所と揉め事を起こしてジャニーズを辞め干された。
そんなイメージの強い赤西仁さん。

しかし、赤西仁さんがジャニーズを退社した理由は「方向性の違い」です。

「強いて言えば方向性の違いでしょうか。決してメンバーが嫌いだからとか、人間関係のもつれとかではないのでご安心を(笑)」とあるインタビューで語っているように、メンバーとの不仲でもなく、ただ自分のやりたいことがジャニーズにいるとできないと気づいたのでしょう。

現在は独立し、自ら作詞作曲をし、プロデュースをしている赤西仁さん。

これは、「ジャニーズ」にいれば絶対にできなかったことでしょうし、「ジャニーズ」という枠の外で活動する方がむしろ表現の幅が広がり、本当にやりたい活動ができると判断したのでしょうね。

本紙の取材では、赤西側が年明けに契約解除を申し出た。理由は活動方針をめぐる事務所との食い違い。アイドルとしての活動や振る舞いを敬遠して、自分のやりたいことを貫こうとする赤西と、姿勢や規律を重視する事務所側との溝が埋まらなかったものとみられる。

(スポニチ「赤西仁 ジャニーズ退社…活動方針食い違い、自ら契約解除申し出」 2014/03/02 05:30)

もともと海外志向だった赤西仁

また、赤西仁さんは、元々KAT-TUN在籍時から非常に海外に興味があった事でも知られています。

2006年の10月に語学留学を理由に芸能活動を無期限休業。
アメリカのロサンゼルスに語学留学していた経験もあります。

「海外で活動をしたい」という理由も独立のもう一つの理由でしょう。

ジャニーズの関連会社「ヤングコミュニケーション」社長によると、今年2月に日生劇場で行われた赤西のソロコンサートを見た米関係者が、「ぜひアメリカで公演を」とオファー。それを受け、赤西は悩んだ末に「挑戦したい」と単独でアメリカへ渡ることを決意したという。
「留学から帰って以降、『またアメリカへ行きたい』とことあるごとに発言し、『オレのやりたいことは海外での方が理解されると思う』と話していた仁ですから、おそらく迷いはなかったはずですよ。この決断を下したのは2月の中旬、ソロコンサートの真っ最中だったようですが、言われてみたらコンサートも後半はかなりゴキゲンでしたしね」(赤西の熱心なファン)

exitニュースより引用

赤西仁の現在は中国市場を開拓しアジア圏での人気・評価も急上昇中

KAT-TUNを脱退。
そして、ジャニーズ脱退後を境にテレビでパタリとみかけなくなった赤西仁さん。

あまり赤西仁さんについて詳しくない人からすればその、あまりに露出の激減ぶりからその活躍を知っているだけに「干された?」なんて思ってしまいますよね。

しかし、赤西仁さんは現在中国を活動拠点にアジアで絶大な人気を誇っているのです。

しかも、その人気っぷりは日本にいた時よりも更にアップしているほど。
そんな活動を詳しくご説明していきましょう。

アメリカ進出に失敗していた?

と、その前に、赤西仁さんは2010年にジャニーズ退所後、晴れてから念願であったアメリカ進出を果たしています。

「JIN AKANISHI」名義で全米デビューし、 デビューシングル「TEST DRIVE feat. JASON DERULO」を発売し、同曲を収録するEP(ミニアルバム)『Test Drive (Remixes) [feat. Jason Derulo]』が、米iTunesのDanceチャートで1位を獲得。

総合チャートでも15位にランクインし、華々しいデビューを飾った。

世間ではそのように言われていますが、しかし、 実際にはiTunes のDanceチャートであり、日本のオリコンシングルチャートにあたる、アメリカではビルボードHOT100の1位ではありません。

また、フィーチャリングしている外人がこのジャンルで最強レベルの「JASON DERULO」。
更に、ジャニーズ陣営の大量買い込みというJASON DERULOと組んだ効果と広告戦略の結果というのが真相です。

2010年11月7日からシカゴ、サンフランシスコ、ヒューストン、ロサンゼルス、ニューヨーク5都市を巡るツアー『Yellow Gold Tour 3010』を開催、合計1万5000人を動員。

とされていますが、実際には観客もほとんど日本人だったとされ、お世辞にもアメリカ進出は成功したとは言えない状況で、アメリカ進出の成功は疑問視されていることも事実です。

「赤西さんが’10年にツアーを開催したときは、観客の大半は在米日本人。本場のエンターテイメントを知る米国人には見向きもされませんでした。ハリウッドデビューした’13年にキアヌ・リーブスと共演した映画『47RONIN』も大コケしましたからね」(スポーツ紙記者)

その後中国に進出し、その知名度も着実に上げていく

しかし、その後アメリカに住居を構えながら、赤西仁さんは活動拠点を中国に移していくことになります。

2014年には自主レーベルを設立し、中国での活動を開始。
2014年9月に「Shanghai west bund音楽祭」に出演し中国初上陸を果たして以降、中国で上海単独公演を2度開催。

そのルックスを武器に確実に中国でのファンも増やしていきました。

その他にも2017年には中国のファンタジードラマ《大潑猴》に初出演。

その他にも数々の中国ドラマに脇役を含め出演し、歌手としてではなく俳優業でもその活躍の場を広げているようです。

ただ、中国語は声優による吹き替えみたいなので、中国語はこれからまだまだ練習中のようですね!

アジアでもっとも影響力のある日本人アーティストに選ばれる

2016年4月15日には、中国・マカオのザ・ベネチアン・マカオにあるコタイ・アリーナマカオで開催された音楽授賞式「第20回 China Music Award(CMA)」に登壇。

アジアでもっとも影響力のある日本人アーティストに贈られる「Asian Most Popular Japanese Artist」を受賞しました。

また、前年の12月5日に行われた中国最大オンライン動画サイトiQIYIが主催する“2016愛奇芸尖叫之夜”では、日本人としては初となる、アジアで活躍し、実績があるアーティストに与えられる賞「アジア人気アーティスト賞」と、中国、香港を含むアジア全域で人気があり影響力のあるミュージシャン10組に与えられる「年度音楽大賞」賞の2つを受賞しています。

ウェイボーでは270万人超えのフォロワー

中国版のツイッター「微博(WEIBO/ウェイボー)」ではフォロワー数270万人という人気っぷり。

中国の人口からすれば、200万人はあまり多く思えないかもしれませんが、200万人というのは日本でもトップクラスの数。

その影響力はもはやトップレベルのインフルエンサーと全く変わらず、これだけ影響力があれば余裕で独立はやっていけるでしょうね。

そして、その影響力が認められ、2018年には都内で行われた「WEIBO Account Festival in Japan 2018」に登場。

その同アワードで、「最も影響力あるアーティスト賞」に選出されました。

WEIBOでのフォロワー数や投稿、フォロワーからの反応などから評価し、各ジャンルで選定され、中国でもそのファンは着実に根付いていることを証明しています。

赤西仁の現在の音楽活動

さてさて、ここまでは現在の赤西仁さんの活躍をおおまかにご説明させて頂きました。

では、そんな気になる赤西仁さんの音楽活動とは具体的にどのような活動をしているのでしょうか?
詳しくご紹介していきましょう。

洋楽を中心とした新たな一面

アーティスト活動する赤西仁さんの音楽はKAT-TUN時代とはまた一味違ったテイストとなっています。

英語も流暢に発音し、まるで外国人が歌ってるの?
なんて思うぐらい違和感のない洋楽。

作詞作曲からアルバム制作、映像制作まで全てを一人でこなす赤西仁さん。
まさに才能と努力の塊ですね….

赤西仁さんはもともと、アイドルというよりもアーティスト志向が強かったのでしょうね。
アイドルとしてではなく、「赤西仁」という一人のアーティストとして更に自らの道を開いているようです。

俳優の山田孝之と、ユニットを結成

また、日本での活動として、2016年には俳優の山田孝之さんと2人組のユニット「JINTAKA」を結成しています。

2人は10代からの友人であること、一緒に映画を作ろうと盛り上がったことなど、その親交の延長として、なにか面白いことをやろうということでこのユニットを結成したと語っています。

しかし、2016年10月の初公演でいきなり突如解散を発表しました(笑)

「2枚目のシングルどうするって時に、意見の違いもあって、方向性の違いで解散したいと思いました」
こう語る赤西仁さん。

元々は赤西仁さんが4月1日のエイプリルフールにスタジオで山田と2人で向かい合って歌う写真に『本日発売 デビューシングル「Choo Choo SHITAIN」』のキャプションを添えてインスタグラムに投稿したことがきっかけ。

おふざけのつもりが本当に実現してしまったこの公演でした。
あくまでも、ノリ一夜限りのノリで結成したユニットだったのでまあ実現しただけ凄いですけどね…(笑)

それにしても、山田孝之さんは俳優として、赤西仁さんはアイドルとして、それぞれ一世を風靡した そんな2人のセンス溢れるおふざけ。最高にかっこいいです!

赤西仁の現在は日本での活動も人気も衰えず継続中

日本でもLIVEも毎年開催

赤西仁さんはアジア進出しつつも、度々日本での光線も行なっています。

2018年4月~5月にわたり行われた赤西のコンサートツアー「JIN AKANISHI “JINDEPENDENCE” TOUR 2018」の東京公演。

このツアーのタイトル”JINDEPENDENCE”とは、自身の名前である”仁(Jin)”と「独立、自立」を意味する”Independence”をかけた造語。

アーティストであり、プロデューサーでもある赤西仁さん。

「会場をおさえるのが大変」という裏話をするくらい、すべてを自分で手掛けているその音楽への愛とこだわりがふんだんに表現されたコンサートとなりました。

ずっと「やりたい」と話していた生バンドが実現したり、ファンからの人気も高いソロ楽曲「care」や「ムラサキ」などなつかしい曲も披露するなど、「自分がやりたいことをやり」つつ、「ファンに喜んでもらう」ことも忘れない、まさに、赤西仁さんとファンの二人三脚で作っていくコンサートとなりました。

ファンとの熱い絆で結ばれる

中国に活動拠点を移した事で、赤西仁さんのジャニーズ時代からのファンは離れていった。
そう思ってしまいがちですが、そんなことは全くなく、今でもそのファン達は継続して赤西仁さんを応援し続けています。

赤西仁さんのファンの特徴は、ルックスだけでキャーキャー言っているのではなく、「赤西仁という生き様や人柄」に惚れているということです。

「自分に正直に、言いたいことはなるべく言う。家族・友人を大切にする。信念を持つ、説得力のある行動をとれるように心がけるということが大事です。あとは行動力!」と以前語っていたように、視野を広く持ち、シンプルに生きること。それが赤西仁さんの信念であり、アーティストとしてのスタイルなのです。

そして信念に共感しているからこそ、海外に活動拠点を移し、日本を離れた今でも赤西仁さんのファンは彼を応援し続けています。

過去にリリースしたアルバム『Blessed』のタイトルには、「楽しく音楽をできる喜びと感謝の気持ち」という意味がこめられています。

その意味は喜びを分かち合いたい人、感謝したい人は?と聞くと「ファンの皆さん」だと言います。

また、公式のツイッターやインスタグラムでファンも彼の生の声を聞き、考えに触れられるようになったことで、双方向性のコミュニケーション。

それだけでなく、ライブ会場で直接コミュニケーションを取るなど、ジャニーズ時代ではできなかったファンとの直接交流も大切にしており、「厳しいことや文句を言われたりした時は真摯に受け止めます。ただあまりにショッキングなことを言われたら、反論します」

そんなことを語るように、ファンとの距離が近いからこそ、ジャニーズ時代以上にファンとの絆は更まっているのではないでしょうか。

「赤西は一見すると突っぱっている印象もありますが、実は気さくな人柄で、ただ表裏がないだけの素直な性格なのだと思います。下手に自分を飾ったり、偽ったりすることができないがゆえに、求められるイメージに応えなければいけないアイドルの仕事は合わない面もあったのでしょう。ところが、そういう態度の中にこそ多くのファンは魅力を見出してきました。裏表がないからこそ、たまに見せる笑顔は心から笑っているように見えて、つい深くハマるのではないでしょうか。赤西さん自身もそういったファンに支えられていることに自覚的ですし、ライブではファンとのコミュニケーションも活発で、その信頼関係は厚いのだと思います」

赤西仁不在のコンサートまで?

昨日は赤西仁くんのライブ行ってきたけど、あんなすごいライブ初めて見た。レーザーの使い方とか映像とか凄すぎて、仁くんがKAT-TUN辞めてやりたかったことがあれなら辞めたことに納得した。赤西仁ていう存在の見方が変わったいいライブでした pic.twitter.com/aRy44fTGUW

— ゆん💫 (@yunnn1013) 2016年9月19日

そして、そんな赤西仁さんに対するファンとの絆を象徴するような出来事があります。

それが、「本人不在のコンサート」です。
そう、赤西仁がいない赤西仁のためのコンサートです(笑)

2019年4月から開催された全国18か所を巡る『JIN AKANISHI “THANK YOU”TOUR 2019』

このツアーを控えていた前月の3月に『変形性腰椎症』を患い、ライブ出演を断念。

グループでの活動ならまだしも赤西仁さんはソロでの活動。
当然、中止かと思われましたが、中止にはせずに、赤西仁さんが独立から5年間の軌跡をたどったドキュメンタリーシネマ『JIN AKANISHI 5th Anniversary Our Years Film』の上映に変更。

しかし、ファンはそれでも来てくれると確信していた赤西仁さん。

売れ残りが懸念され、結局、販売されたのは赤西仁さんの希望よりだいぶ少数でしたが、結果は即、完売。運営に謝罪されたといいます。

彼のファンに共通することは、「私たち、仁くんにめちゃめちゃ信頼されてる!」という自負だと思う。赤西さん流に言うなら、“自負ってる”。

だから、ちょっと会えないくらいで、それも不慮の事情ならなおさら、駄々っ子みたいに寂しがって離れたりしない。長い人生いろいろあるもの。

「留守は守っておくから、大事を取るといいよ」という姐(ねえ)さん的な情の厚さと貫禄が、彼女たちにはある。

赤西仁はこれからも更に飛躍していく

昔からのファンも離れることなく、新規のファンも獲得し、海も飛び越え新しいマーケットも開拓しています。大手の事務所に所属せず、これだけの活躍ができる日本人アーティストの話は、他では聞いたことがありません。

中国でのその影響力は年々着々と増え続け、もはや日本の一アイドルからアジアの人気者になった赤西仁さん。

一体どこまでその活躍は続いていくのか?すごく楽しみですね。

世界に進出するジャニーズのパイオニアとしてこれからのご活躍を期待しています!