今や世界第二位の経済大国になった中国。
その大国を率いる国のトップである習近平国家主席。
そこまでの超大物のファーストレディーって一体どんな人物なのか気になりますよね〜。
今回は、そんな習近平の妻(嫁)について詳しくお伝えしたいと思います。
目次
習近平の嫁(妻)彭麗媛の経歴は?
プロフィール
名前:彭麗媛(ほうれいえん)
生年月日: 1962年11月20日
出身:中華人民共和国山東省菏沢市鄆城県
彭麗媛夫人は習近平国家主席の9つ年下。
もともと中国山東省生まれで父が県文化会館館長、母が劇団員という芸術一家で育ち、14歳で山東芸術学校に入学。
中国版の美空ひばり?元々は歌手だった!
18歳で軍に入隊し、人民解放軍専属歌手として活躍します。
20歳で中国版紅白歌合戦共言われる中国中央電視台春節聯歓晩会に出演し、22歳で人民解放軍総政治部歌舞団に入団、同時に中国共産党党員となります。
彭麗媛さんは中国版紅白歌合戦共言われる中国中央電視台春節聯歓晩会でトリを務め、最多出演記録も持つ国民的スター。
『中国の歌姫』と呼ばれる人気絶頂の歌手で日本でいう美空ひばりさんのような存在だそう。
なので、中国では習近平国家主席そのものよりも彭麗媛の夫と呼ばれるほどまでの認知度があるようです。
確かに、日本の駆け出しの議員と美空ひばりさんが結婚していれば同じように呼ばれてもおかしくはないですね。
「日本の紅白歌合戦のような、大みそかの夜8時から翌日未明にかけて放送される人気歌謡番組でトリを務め、最多出演記録も持つ国民的スターです。昔の日本でいえば美空ひばり。中国国内では、彭麗媛が『習近平の妻』というより、習近平が『彭麗媛の夫』と呼ばれているほどです」(中国ウオッチャー)
馴れ初めは?
二人が結婚したのは1987年。彭麗媛夫人が当時24歳の時に結婚しています。
その前年末、友人の紹介で会ったことがきっかけだったそう。そして、それは習近平国家主席の一目ぼれだったそう。
実は、彭麗媛夫人とは再婚で習近平国家主席は大学卒業後、駐英大使の娘と結婚しますが、すぐに離婚した過去があります。
価値観の違いや生活習慣の違いが原因で毎日ケンカが耐えなかったそう。
その後に出会ったのが当時、国民的人気のある歌手である彭麗媛さん。
習近平国家主席は後に馴れ初めについてに、出会って40分で結婚を申し込む決心をしたと語っています。
年齢が10歳違う夫婦の共通点は文化大革命での父親と自分の受難と辛酸。「最初に出会った時、多くの共通点があると思った」と山東省メディアに述懐。
そして、彭麗媛夫人も当時の馴れ初めの様子について、第一印象では彼が「教養がなく、年の割に老けて見える」と思ったそうでしたが、実際に話すと印象が変わった。
こう語っており、その境遇や価値観や考え方など、まさに二人ともビビッとくるものがあったのでしょうね。
習近平の嫁(妻)彭麗媛の若い頃が超美人!
また、気になる彭麗媛夫人の若い頃ですが、かなりの美貌だったことが伺えます。
歌もうまくてこの美貌なら人気が出るのが分かりますよね!
なんとなく女優の観月ありささんに似ていますね。
しかも、ただの歌手だけでなく軍人という彭麗媛夫人。
さぞアイドル的な存在だったのでしょうね〜。
習近平の嫁(妻)彭麗媛は超あげまん?国のトップになれた陰の立役者だった!
結婚を機に軍の支持を受け始める習近平
実は、習近平国家主席が国のトップになるほど出世できたのはこの彭麗媛夫人の功績が非常に大きいとまで言われています。
当時軍内でアイドル的人気を誇っていた彭麗媛夫人。
この夫人との結婚した習近平国家主席は軍内での支持も同じように上がっていく事となります。
また、この彭麗媛夫人との結婚を後押ししたのが習近平国家主席の母親だそうで、彭麗媛夫人との結婚の影響はは同じ女性として習近平国家主席にとってどれほどプラスになるのか本人以上に理解していたのではないでしょうか。
「実は、習近平の母・斉心が、彭麗媛と結婚するよう息子を後押ししたという話もあるんです。当然、国民的人気のある歌手を妻にすればイメージアップにつながるし、何より彭麗媛は歌手とはいえ現役の軍人で、軍内でも絶大な人気を誇ります。習近平が政治的にステップアップするためには、都合がいいと思ったのでしょう。実際、軍を掌握するのに苦労した胡錦濤などと違って、習近平は軍のウケが非常にいいようです」
その後、ますますその出世街道を歩む
そして、この母親の読み通り、彭麗媛夫人効果で軍内部の支持を受け、急速に出世する習近平国家主席。
徐々に影響力のある地域での役職に就くようになり、最終的に今の国家主席の座へと上り詰めました。
まさに、『あげまん』とも言える彭麗媛夫人の存在。
もちろん、習近平国家主席の能力や努力の賜物でもありますが、この彭麗媛夫人の影響は非常に大きかったことでしょう。
実際、“ママのアドバイス”は、やはり正しかった。結婚当初、福建省アモイ市の副市長に過ぎなかった習氏はその後、急速に出世していく。
「アモイ副市長程度では、まだ出世コースとまでは言えませんでした。しかし、結婚後、福州市書記、福建省長と階段を上り、02年には浙江省書記になります。浙江省は中国でも経済的に非常に豊かなところで、ここで出世の展望が一気に開けました」(宮崎氏)
07年に上海市の書記に就任すると、同年10月にいきなり中央政治局常務委員に大抜擢(ばってき)。翌年3月には国家副主席に就任し、胡国家主席の後継者の座を不動のものにした。母親がすすめた結婚相手は、まさに“あげまん”だったのだ。
習近平にとって嫁(妻)彭麗媛は自らの人生を変えた人物と言っても過言ではない
さして政治実績がない習近平国家主席が総書記の座につけたのも、解放軍総政治部歌舞団の歌姫が持つ国民的人気と軍部の圧倒的支持があったからこそ、といっても過言ではないでしょう。
まさに内助の功ともいえるその功績は結婚においていかにパートナーの影響が計り知れないかを世界中の人達に実感させてくれる事でしょう。
そして、彭麗媛夫人自身が持つ開放的で気さくな振る舞いは中国の「ファーストレディ」は対外活動しないという慣例を破ったり、優雅で洗練されたファッションセンスは中国のイメージまで変えている彭麗媛夫人の存在。
習近平が国家主席になった現在でも続いており、習近平国家主席にとってなくてはならない存在どころか、今の中国に置いても非常に頼もしい存在であることは間違いありません。
そんな超理想的なファーストレディーは習近平が国家主席にとって頼もしい妻であり続ける事でしょう。