森友哉の天才エピソードまとめ!不良で特攻服着てても野球はすごかった!

森友哉の天才エピソードまとめ!不良で特攻服着てても野球はすごかった!

西武ライオンズの若き天才と言われる森友哉。

大阪桐蔭時代からその天才ぶりは有名。
しかし、プロに入ってもその期待通りの活躍を見せています。

久しぶりに登場した「打てるキャッチャー」
そんな地位を確固たるものにしつつある森友哉ですが・・・

森友哉の天才と言われる所以はいったいどんなところにあるのでしょうか?

今回は、そんな森友哉その天才と言われる所以やそれを象徴するエピソード
これらをまとめてみました。

西武の若き天才・森友哉

名前:森友哉(もりともや)
生年月日:1995年8月8日
身長:170 cm
ポジション:捕手、右翼手

経歴:大阪桐蔭高等学校〜埼玉西武ライオンズ (2014 – )

5歳から「庭代台ビクトリー」で軟式野球を始める。

庭代台小学校時代は投手。
6年生時にオリックスジュニアの捕手兼投手として12球団ジュニアトーナメントで優勝。

東百舌鳥中学校時代は「堺ビッグボーイズ」に所属し、3年生の春に全国大会で準優勝。

大阪桐蔭高校では1年生の秋から正捕手を務めた。
2年生の時、1年先輩にあたり同郷の藤浪晋太郎とバッテリーを組み史上7校目の春夏連覇を達成。

3年次にも甲子園に春夏連続出場し、甲子園通算記録は14試合出場で55打数26安打5本塁打、打率.473
本塁打数は歴代4位タイ。高校通算では41本塁打を放ちました。

大阪桐蔭の黄金時代を作った立役者でもあり、高校時代は多くの高校野球ファンを湧かせました。

ドラフト1位で西武ライオンズに入団

そして、その後2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議。
こちらで埼玉西武ライオンズから1巡目指名。

契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で合意し入団。
背番号は「10」に決まった。

「打てるキャッチャー」として鳴り物入りデビューを果たしました。

高卒ルーキーでプロ1号から3試合連続HR

そして、森友哉の天才っぷりはルーキーの1年目で早速発揮。
野球ファンの記憶にも新しい「高卒新人の3試合連続本塁打」

プロ8打席目での初安打である本塁打を放つと翌日、翌々日と3試合連続HR.
しかも、3本中2本が代打での記録というのが森友哉の凄さを物語っています。

そして、高卒新人の3試合連続本塁打は、1968年に中日の江島巧が記録して以来46年ぶり史上3人目で、プロ1号から3試合連続となった高卒新人では江島に次いで2人目となりました。

森友哉の天才と言われるその打撃センス

さて、そんな森友哉が天才と言われる所以。
それはなんとその打撃センスでしょう。

シーズン200安打記録を達成した秋山翔吾も、森選手のバッティング練習中のフォームを参考にして
打撃が開花したという話まであるほど。

では、その秘密は一体どこにあるのでしょうか?

天才的な打撃センス①バリーボンズと同じ!?体の使い方が超絶うまい

森友哉選手は170cmとプロ野球界の中でもかなり小柄。(実際は168cmのようです)
しかし、あの小柄な体でバックスクリーンに運べるその飛距離。

左右に打ち分けることができる卓越した技術だけ。
それに加えて、小柄な体であそこまで飛距離を飛ばせる選手はNPBを見渡しても唯一無二でしょう。

その秘密はインパクトの瞬間の体の角度。

ホームランを打つにはボールに角度を付ける必要があります。
そのためにはボールのインパクトの瞬間に若干体をキャッチャー寄りに倒すことが理想。

この体の角度はなんともメジャー最高のHRバッターのバリーボンズと同じ角度なのだとか。

普通の日本人バッターは地面に対して90度ぐらいで直立して回っていることが多いです。

しかし、この森友哉の場合、インパクトの瞬間が普通の日本人バッターに比べて角度が付いている。
これがあの飛距離に繋がっているのです。

そして、この打つ瞬間に体の角度を付けるには並外れた背筋・お尻の筋肉・太ももの筋肉
これらが求められます。

森友哉のこの飛距離の根本にはこの日本人離れした筋力が備わっているから実現できるのでしょう。

また、森友哉のバッティングの特徴。
それは重心を低く、どっしりと構え下半身で生み出された力を上半身からバットへと伝えています。

これだけ下半身を低く構えたフォームでは、通常足を上げる事自体困難。
しかし、森選手はそれができてしまいます。

これは森友哉の並外れた身体能力だからこそできる特殊なフォームといえるでしょうね。

そして、このフォームが軸が全くブレず並外れたスイングスピードを生み出しているのでしょう。

天才的な打撃センス②並外れた動体視力

森友哉の凄さはその目だけに行きがちですが、実はその裏に隠れた凄さ。
それは「動体視力」です。

森友哉のバッティングの凄さはこの飛距離だけでなく、甘い球を確実にものにするこのミスショットが少ないこの卓越した「ミート力」そして、ボール球を振らない選球眼にもあります。

これらは並外れた「動体視力」があってからこそできる技。

また、「動体視力」の凄さを物語る記録として、打者の選球眼を表す指標IsoD(Isolated Discipline)
こちらで2018年の森友哉はパリーグの5傑に入るほどの選球眼の持ち主。

2018年、セ・パ両リーグのIsoD5傑

パ・リーグ
1 山川穂高(西).115/打率.281出塁率.396
2 西川遥輝(日).113/打率.278出塁率.391
3 近藤健介(日).105/打率.323出塁率.427
4 デスパイネ(ソ).094/打率.238出塁率.3335 森友哉(西).091/打率.275出塁率.366

森友哉の並外れた身体能力を活かしたギリギリまで体を開かず、そこからでも十分間に合うスイングスピードを実現できる超理想的なフォーム。

そして、そのボールをボールを極限まで見れる並外れた動体視力。

この2つが森友哉の天才的なバッティングフォームを形成しているのでしょう。

天才・森友哉の中学時代は不良でやんちゃだった!
不良エピソードがやばい

また、森友哉の天才ぶりを更に象徴するのがその学生時代。

なんと中学時代は「真面目」に野球に取り組んでいなかった。
というところがまた森友哉の天才ぶりを象徴しています。

特攻服姿がヤバい!漫画に出て来るような不良ヤンキーだった!?


森友哉は中学時代は特攻服を着てバイクを乗り回すヤンキーだった。

というエピソードでも有名です。

かつてのシニアの同級生もこの森友哉について
「ケンカとかしててあまり学校に行ってなかった」そんなことを語ります。

↓そんな当時の森友哉のヤンキー時代は以下の動画で見れます

なんとも絵に描いたような不良ヤンキー少年・・・
グレてますね〜(笑)

コンビニの前で出くわしたら「うわぁ〜」
って引いてしまうぐらいの感じ。

むしろこのご時世にはあまりみかけないかなり昔ながらのヤンキーですねw
今の時代あまり特攻服とか着てるヤンキーって逆に見かけませんよね(笑)

写真からもかなりヤンチャしてたんだな〜。
なんてことが伝わってきますね。

なんとも遊びと野球をうまく両立させていたと語る森友哉。
一流アスリートって子供の頃から遊びには目もくれずその競技一筋。

なんて人が多いですが、森友哉はそんなところからもその凄さがわかります。

中学シニア時代も練習嫌いだった

かつての森友哉が所属した大阪の強豪硬式のシニアチーム「堺ビッグボーイズ」

このチームはDenaの筒香などを輩出したチームとしても有名。

そんな強豪チームでこの頃からも、森友哉は練習嫌いで不真面目だったと当時の監督や同級生から語られています。

そんな当時のエピソード一つに、全国大会のみんなが気合が入っているなかで「森がいない」
そんな中で森友哉を探したところ女子マネージャーをナンパしてた。

そんなエピソードまであります(笑)

他にも、当時のシニアのピッチャーだった同級生
「ワンバウンドが怖すぎて投げれなかった」そんなことまで語ります(笑)

なんともワンバウンドを投げると森友哉が明からさまに嫌な顔をするみたいでしたw
グラウンドでもヤンキーな性格だった森友哉。

そう考えるとかなり丸くなったのでしょうね。

「野球がなければ道を踏み外していた」
森友哉に関してそんなことを語る当時のシニアの同級生はそんなことを語ります。

確かに個人的に見ても、森友哉は完全に野球に救われた一人だったのでしょうね。

天才・森友哉を作った原点!育成環境にも恵まれていた

そんな森友哉が所属した堺ビッグボーイズ

これは違った見方をすると「天才を潰さない環境」
で野球をできたことが非常に大きいです。

この堺ビッグボーイズの代表の瀬野龍之介さんの考えが素晴らしいと感じます。

なんともこのチームの方針は「将来を見据えてのびのび野球をする」「メリハリを持って野球をする」

そんな一風変わったチーム方針の元で野球をしています。

代表の瀬野さんはこう語ります。

「朝から晩までロボットのように練習を押し付けてやったほうが勝てます。ただ、それは、その先の彼らがハッピーにならない」

事実、堺ビッグボーイズの練習時間はがっつり練習を行える土日でも8:30~14:00
と練習環境はシニアにしては異例の短さ。

練習後は自主練習に時間を割けるようですが、森友哉選手に関しては
「ものの見事に遊んでた」瀬野代表はこう語ります(笑)

選手の自主性や常識に囚われない練習方法や私生活の両立を重点に置いた指導。

しかし、そんな環境が「自分にはこの環境が合っていた」
森友哉自身も語っているようにはそんなのびのびとできる堺ビッグボーイズの環境。

そんな環境で野球をやれたからこそ、野球を続けられたのでしょう。

おそらく、森友哉の指導者がめちゃくちゃ厳しい指導者に当たっていたらまず野球を辞めていたではないでしょうか。

世の中には森友哉に匹敵する才能を持ちながら指導者と合わずに辞めてしまう。
そんな天才は星の数ほどいます。

しかし、自主性を尊重したのびのびとできる野球環境で続けられた森友哉。
ある意味、才能だけでなく強烈な運も持っていたのでしょうね。

そんな「才能」にも「運」にも恵まれた野球人生。
これが森友哉という天才スラッガーを生んだ秘訣なのでしょう。

これらかも、その才能を思う存分活かして活躍する姿を見せてもらいたいですね!