山本太郎の元嫁・割鞘朱璃は元プロサーファー!グラビアに転身しoVにも出演!?

山本太郎の元嫁・割鞘朱璃は元プロサーファー!グラビアに転身しoVにも出演!?

れいわ新選組を立ち上げ、今最も注目されている政治家と言っても過言ではない山本太郎さん。

そんな山本太郎さんって結婚してるの?なんて気になる人は多いのではないでしょうか。

実は山本太郎さんは一度結婚した過去があり、スピード離婚しています。

今回は、そんな山本太郎さんの元奥さんについて詳しくお伝えしたいと思います。

山本太郎の元嫁・割鞘朱璃とは?

プロフィール

名前:割鞘朱璃(わりさやじゅり)
生年月日 : 1992年09月22日

身長・体重 : 152cm/45kg
出身 : 千葉県柏市出身
学歴:文理開成高等学校

ニックネーム:イチゴ
趣味: 手芸・読書・文章を書くこと・音楽鑑賞・お菓子作り
特技: 早寝早起き
好きな食べ物: イチゴ・お饂飩・焼き鳥
苦手な食べ物: キナ粉・牛肉も少し苦手
好きな色: 青・ピンク・白
好きな音楽: 70年代の軽いロック・ピアノのジャズ

割鞘朱璃さんが山本太郎さんと結婚したのはなんと当時19歳。

しかも、山本太郎さんは当時37歳と歳の差18歳と言う事でも非常に世間を驚かせましたね。

愛嬌のある素敵な女性

こちらが割鞘朱璃さんの人柄が分かる動画。

かなり素朴な印象で小柄な女性ですね!

非常にニコニコしてて愛嬌のある女性ですね〜。

山本太郎の元嫁・割鞘朱璃は元プロサーファー

元JPSA女子ロングボード初代グランドチャンピオン

そんな割鞘朱璃さんはなんと元プロのサーファー。

14歳で本格的にサーフィンを始めた割鞘朱璃さん。

その後わずか一年のキャリア、若干15歳で日本初となるJPSAの公認女子ロングボードプロサーファー第1号になります。

そして、2009年には史上初となる3冠を達成し、日本人として初めて世界大会で優勝した実力派のプロサーファーでした。

サーフィンを通して知り合う

実は山本太郎さんも大のサーフィン好きで有名でした。

そのサーフィン好きも度が過ぎる事があり、波乗りで日焼けをしすぎてドラマ出演に支障をきたした事があるほどだったと言います。

二人の馴れ初めも、この『サーフィン』通じで知り合ったとされています。

山本太郎と元嫁・割鞘朱璃は2012年に結婚

2012年に結婚

山本太郎さんと割鞘朱璃さんは2012年5月に結婚。

交際1か月という超スピード電撃結婚でした。

当時の心境を自身の運営していたアメブロ「イチゴの戦い」で綴られていました。

結婚発表ではお相手が山本太郎さんと言う事を隠すなど、世間に配慮をしていたようですね。

私の夫になってくれた人は
私よりもちょっと。。年上で
サラリーマンをしています

もちろんサーフィンもします

サーファーとは絶対にお付き合いしないって
言ってたのに、急に方針を変えました
今はサーファー大好きです

これからは主人を陰から支え
主人のお母さまから沢山のことを
教えていただきながら山本の家の嫁として
一生懸命努力していくつもりです

いつまでも、永遠に愛情のあふれる家庭を
主人と築いていくつもりです

主人はとても恥ずかしがり屋さんですので
写真は載せませんが
そのうちお披露目したいと思います
個人的にはけっこうハンサムさんだと思ってます

「イチゴの戦い」より引用

3ヶ月でスピード離婚

しかし、そんなスピード結婚から3ヶ月後の2012年8月にスピード離婚を発表。

結婚から3ヶ月で離婚ということで、超スピード離婚ということですが、一体二人の間に何があったのか?

この発表は後に山本太郎さんの口からされることになります。

本人が語る離婚原因について

この離婚劇の後に、山本太郎さんは記者の前で正式に離婚発表をしています。

その理由は以下のように語られていました。

・一ヶ月に家に帰れるのが1度〜3度、そんな状況で奥さんを寂しくさせてしまった

・若い女の子が描く結婚生活とはほど遠いものだった。そんなものが積み重なってしまったこと

・政治活動で忙しい事は理解しての結婚だったそうだが、やはり現実と想像していたもののギャップが大きく離婚に至った。

・彼女の方から「しんどい」ということで離婚を切り出した

・家に帰っても政治活動の会話がどうしても混じってしまい、『甘い新婚生活』というものを感じさせる事ができなかった。

・一番の原因はやはり『時間を共有できない』というのが最も大きい

このように、ちょうど政治家として駆け出した頃でもあり、そんな中での結婚生活はお互いの時間を共有する事が難しかったということでした。

やはり、勢いで結婚してしまったということもあり、あまり深く考える時間がなかったのも大きいのかもしれませんね。

山本太郎と元嫁・割鞘朱璃の実家の問題

また、この離婚劇の裏で中もされたのが、割鞘朱璃さんと養父の関係。

非常にセンシティブな関係だったようです。

父親の虐待の元で育つ

岡山に生まれ、実家があるものの、茨城県で幼少期を過ごした割鞘朱璃さん。

3才のころ両親が離婚し、母の下で育てられました。

そして、小学4年生のとき、母が引っ越し先の千葉で再婚。

そんな再婚相手の父親に幼少期は再婚相手の養父から虐待を受けて育った割鞘朱璃さん。

その内容は非常に深刻で、想像をし難いものだったようです。

生活をともにするようになると、すぐに父からの暴力が始まったという。具体的な虐待の様子を朱璃さんが説明する。

「テーブルマナー、箸の持ち方などで、一度いわれたことができないと、“同じことをするな!”といって、髪を引っ張られたり、成績が落ちたことなどを理由に、食事中に熱いお味噌汁を、お椀ごと投げつけられたり…」

夜中に布団をはがされベッドから落とされ、髪を引っ張られたまま2階から階段の段を背中に、1階まで引きずり下ろされたこともあった。投げつけられた金具の部分が額に当たって流血し、8針縫う怪我となったこともあり、その傷はいまも残っている。

newspostseven(女性セブン2012年7月5日号)より引用

「母も一応最初は“もうやめて”と止めにはいるんですが、父に“お前は黙っとけ”といわれると引っ込んでしまう。その後は見ているしかない。私はいつも“なんで離婚してくれないんだろう”と思っていました。精神的にいちばんつらかったのは、玄関で正座をさせられたとき、父が私の頭の上に放尿したことでした。それからは“この世から消えてなくなりたい”とばかり考えていました」(朱璃さん)

newspostseven(女性セブン2012年7月5日号)より引用

自ら命を絶ってもおかしくないほどの家庭環境で育った割鞘朱璃さん。

その後も父の暴力は止まらず、朱璃さんは児童相談所に保護されたりを繰り返しながら、小学校を卒業。中学校時代は約2年間を児童養護施設で過ごし、そこから通学もしていたそう。

ブログ運営でも問題が?

また、自身の運営していたアメブロ「イチゴの戦い」も実は養父の管理下で更新されていたといいます。

というのも、結婚して“娘をコントロールできなくなった”ことを理由に、養父が勝手にパスワードを変更。

その後は、父が朱璃さんになりすましてブログを更新していたそうです。

こういう事からも、成人してからも割鞘朱璃さんと父親の間で非常に複雑な関係にあった事が伺えます。

山本太郎と元嫁・割鞘朱璃はその後はグラビアに転身!

芹菜々子の名でデビュー

そして、山本太郎さんと離婚後はサーファーを引退し、迷走が始まります。

2015年4月にフライデーからは“芹菜々子”の名義でヌード写真集が発売されたことが発表。

そして、その後はイメージDVDを発売。

ネット上ではAo出演などと噂されていますが、あくまでも水着姿のイメージ作品であり、こちらについては誇大な報道と言えます。

しかし、サーファー時代よりかなりシュッとしている印象で別人のように感じます。

痩せたというだけでは言い表せないその変貌ぶり・・・

恐らく、この感じを見る限りでも『整形』の二文字が頭に浮かんできますね。

きっかけは北新地のホステス?

そして、そのきっかけとなったのが大阪の北新地のキャバクラと言われています。

夜の仕事の世界は色んな繋がりが非常にできやすい環境でもあります。

北新地という場所柄も芸能関係者と繋がり、このグラビアデビューに至ったのではないでしょうか。

山本太郎さんとの離婚後、大阪の北新地でホステスをしているという情報などがありましたがお金に困っていたという情報もありました。面接の際にスタッフの方がパスポートのコピーを確認しているというので北新地でホステスをしていたという話は信ぴょう性がありそうです。

割鞘朱璃さんは自らお店の幹部の方に「実は、私はあの山本太郎の妻でした。他人に知られると騒ぎになるから、それを隠してお仕事したいんですが、バレないでしょうか。今まで彼の大阪の実家で義母と暮らしていましたが、もう籍を抜いたので、そこを出ないといけません。お金がいるから、ここで働かせてください」と言っていたのだそうです。

https://windy-windy.net/warisawajuriより引用

山本太郎と元嫁・割鞘朱璃のまとめ

このグラビア以降、2020年現在の割鞘朱璃さんは今はどこで何をしているのかは不明のまま。

恐らく、表舞台からは姿を消し、一般人としてひっそりと暮らしているのでしょうね。

そして、この結婚は割鞘朱璃さんにとって『若さ故の過ち』そんな風に感じている事でしょう。

しかし、人生には誰しも失敗がありますし、これからは幸せな人生を送ってもらいたいですね。