斎藤佑樹はなぜダメになった?理由は右肩関節唇の怪我が致命傷だった!

斎藤佑樹はなぜダメになった?理由は右肩関節唇の怪我が致命傷だった!

かつて「ハンカチ王子」の名で学生野球界を席巻した斎藤佑樹。

そんな斎藤佑樹もプロに入りで9年目を迎えました。プロでは苦しい8年間が続き、31歳となる今年はまさに正念場。

しかし、そんな苦しみ続ける斎藤佑樹ですが、では一体なぜダメになったのか?そんな疑問もおそらく湧いてくるでしょう。

実は斎藤佑樹には「プロで通用しなかった」と一言で済ますことのできない同情すべきある理由がこの不振に繋がっています。

今回はそんな斎藤佑樹がなぜダメになったのか?その理由を詳しくお伝えしたいと思います。

入団以来パッとしない成績の斎藤佑樹

成績も入団以来だだ下がり

斎藤佑樹はプロ一年目には6勝6敗の防御率2.69とまずまずの成績を挙げプロ生活をスタート。

その後、プロ2年目に開幕投手を任され、プロ初完投勝利を果たし、その大物ぶりを発揮。
しかし、その年は5勝8敗の防御率3.98と期待通りの成績は残せず。

さらに、その年を最後にシーズン1,2勝をうろうろする低迷ぶり。
2016年〜2018年にはトータルで1勝とその見る影は完全に無くなってしまいました。

現在は中継ぎが主な仕事

そして、近年は斎藤佑樹の代名詞だった「先発」から「中継ぎ」へと転向。

1,2イニングとかなり少ない登板機会で首脳陣の信頼を回復を図ることで精一杯。

もちろん、中継ぎも大事な仕事。
しかし、ファンの望んでいる斎藤佑樹ではないのが現状でもあります。

いい流れを引き継ぐ事は出来るかもしれないですが、始めににいい流れを作る力は難しい。
そんな評価が現在の斎藤佑樹の評価でもあります。

斎藤佑樹はなぜダメになった?その決定的な理由は肩の故障

さて、そんな低迷している斎藤佑樹ですがでは一体なぜダメになったのか?
その理由を今から詳しくお伝えしていきましょう。

右肩関節唇を損傷

まず、結論からお伝えすると、斎藤佑樹がダメになった決定的な理由。

それはプロ入り2年目の2013年の「右肩関節唇」
この怪我が決定的な理由と言えます。

決してプロで通用しなかったとかそういった理由ではなく怪我による能力の低下。
これが最も大きな理由と言えるでしょう。

関節唇の故障は投手にとっては選手生命に関わる致命的な怪我とも言えます。

過去には沢村賞も受賞して田中将大も憧れたと言われる元福岡ソフトバンクホークスの斉藤和巳投手。

この斉藤和巳投手もこの右肩関節唇の故障によってその選手生命も短くなりました。

右肩関節唇を故障した投手のほとんどは、怪我によりそのパフォーマンスが低下してしまう人がほとんど。

投手にとって、関節の故障はそれほどの重症な怪我なのです。

関節唇は投手にとっては致命傷の怪我

投球動作が原因でなりやすいことからいわゆる「野球肩」と言われるものでもあります。

しかし、残念ながら、一度はがれた関節唇が自然に治ることはありません。

急性期の安静とその後のリハビリで症状が改善することがあります。

そして、リハビリなどの保存療法を行なっても症状が改善されなければ、はがれた関節唇を縫い合わせる手術が必要になります。

しかし、肩の関節唇損傷の怪我で手術を受けたプロ野球選手は多いのですが、その大半が復活することが叶わず引退という結果に終わっているのです。

そのため、斎藤佑樹は手術を回避し現在に至るまで騙し騙し投げている状態なのです。

余談ですが、あの令和の怪物と称され、千葉ロッテに入団した佐々木朗希投手。

この佐々木朗希投手も大船渡高校時代に決勝戦で温存され話題になりましたが、この肘の関節の故障から守るためだったんですね。

怪我の元凶は大学時代の股関節の故障

斎藤佑樹は、プロ入りして右肩関節唇を痛めた。
これがある意味致命傷となり、その後の低迷に繋がってしまったわけですが….

実は、その元凶となる怪我を大学時代に発症しています。

それが「股関節」の故障。

この股関節の故障が起因となって右肩の故障に繋がっているのです。

つまり、こういうことです。

股関節の痛みをかばうように投げ続けた。その結果、手投げになってしまい、肩に負担のかかる投げ方をしていたので右肩も痛めてしまった。

ということでしょう。

斎藤佑樹の大学時代を知るパーソナルトレーナーケビン山崎氏もこう語ります。

ケビン氏は「実は彼は大学2年時に左の股関節を故障している。その辺からフォームが崩れ始めている。体が小柄で柔道でいう一本背負いのようなフォームの彼の左股関節がブレてしまうと全てが遠回りになってしまう」と、ここ4年間で3勝6敗と迷走する斎藤がひた隠しにしてきた“元凶”に言及。続けて「それをごまかしながら投げていてプロ1年目に左腹斜筋、3年目に右肩を負傷した。一連の動きで(正しいフォームが)迷子状態になってしまった。それを本人が(公に)説明していないから世間から誤解を受けた」と斎藤を擁護した。

東スポより引用

斎藤佑樹の股関節故障はフォームが原因だった?

では、最終的に肩まで故障してしまった全ての元凶である股関節の故障。
その原因は一体どこにあるのか?

それはもともとの「投球フォーム」にあります。

斎藤佑樹のフォームはもともと少し特殊なフォーム。そんなことで知られていました。

「軸足がカクンと折れて、左足が突っ立った感じで投げる、カクンとしたフォーム」

そんな特徴的な斎藤佑樹のフォーム。

しかし、このフォームは立ち投げになったり、躍動感のないフォームに見えたり・・・そんな弊害もありました。

そして、このフォームは多くの指導者が「あのフォームを修正して、もっと柔らかく投げるように」そんな指摘も多くしてきました。

しかし、そんな反面、斎藤佑樹の小柄な体型から高校時代からキレのあるスピードボールボールを投げれた。

それは、このフォームだからこそ、実現できたことでもあります。

また、このフォームは斎藤佑樹の早稲田大学の先輩であり社会人野球の強豪トヨタ自動車で活躍する佐竹功年投手。

この投手から参考にしたと語っています。

佐竹投手は斎藤佑樹と同じように170cmない小柄な体格ながら150km/h近い球速。
そんなスピードボールを投げていたことから参考にしました。

そして、早稲田実業時代に斎藤佑樹もこのフォームを参考にしたところ、「甲子園優勝」「大学選手権での優勝」とご覧の通りの学生時代の活躍でした。

しかし、今となっては、この斎藤佑樹の投球フォームは小さな体でその反動を思いっきり使う分故障しやすいフォームだった。

結果論にはなりますが、そんな諸刃の剣の投球フォームだったことになります。

斎藤佑樹はなぜダメになった?その他の要因

ダメになったその他の理由①怪我の影響からフォームが崩れる

そして、この「股関節故障」「関節唇の故障」これらは投球フォームにまで悪影響を及ぼす形になってしまいました。

上の動画は全盛期と言える高校時代・大学時代〜プロ野球。これらを比較したものです。

学生時代に比べて手投げになっているのはおわかりでしょうか?

これは、先ほどお伝えした通り「股関節が上手く機能しない」こと、そして「関節唇の故障」

これらが連動し、腕が縮こまってしまっていることが原因でしょう。

これにより、小さくまとまった手投げのフォームになってしまっているのです。

そしてこのフォームで投げ続けた結果、球速も出ず、軽い球になってしまった。その結果、あのようにボコボコ打たれる形となってしまいました。

ダメになったその他の理由②サボリ癖

斎藤佑樹には、そんな怪我以外にも悪い噂があります。

それが「サボリ癖」

「練習をしない」「野球に対して不真面目」「ハングリー精神がない」

そんな野球に取り組む姿勢を首脳陣から問題視されてきたそう。

特に走り込みや投げ込みなどの厳しいトレーニングはすぐに手を抜くようで、日本ハムのある投手コーチは『あんなに練習しない選手は初めて見た』とまで言っていたのだとか・・・

また、斎藤佑樹の入団当時、実はダルビッシュは彼を自分の軍団に入れるために自ら歩み寄ったそう。

しかし、すぐに極度のサボり癖を見抜き斎藤投手を見放したのだといいます。さらにその後も関係は悪くなりほどなくして距離を開けるようになったのだとか・・・

まだダルビッシュ有が日本ハムにいた頃、斎藤を自分のグループに加えようと歩み寄ったことがあったんですが、すぐに“ダメだ、こいつは”と見放した。後から聞くと斎藤は野球の話に熱心な男じゃなかったというんです。選手間でも『斎藤は合コンなど、野球と関係のないことばかり』と聞きますし、チーム内でも完全に浮いてますね

ライブドアニュースより引用

ダメになったその他の理由③頑固でスター気取りな性格

また、学生時代からスター扱いされてきた斎藤佑樹。そんな境遇は、自身の首をもしてる結果となることに。

まず、それは選手とコーチという関係でも悪影響をもたらしました。「コーチの指示」を受けても全く聞かず、自己流を貫いたと言います。

また、斎藤佑樹と仲の良かったベースボール・マガジン社の池田哲雄社長。

この社長に高級車のポルシェ・カイエンなどをおねだり、結局はワンランク落ちる約800万円相当のポルシェ・マカンを提供されたり・・・

ほかにも日ごろから財布やバッグ、都内マンションなどを無償提供されていたり・・・

私生活でも平然と高価なモノを受け取る「ごっつぁん体質」は関係者間で大不評だといいます。

危機感もなくプライドだけが高くなってしまったことで、記者間では「バカ殿」そんなあだ名がつけられる始末だそう。

そんな学生時代からスター扱いされてきたこと。それが自身の野球人生において悪い方に影響してしまったこと。

それもプロで不調が続く関節的な一つの影響でしょう。

「以前、独占取材を申し入れたら『飲みに連れて行ってください』と言ってキャバクラに行きたがったんですが、そんな経費は下りないので断ると、途端に態度が冷たくなって、球場で声をかけても無視されるようになった。どうもおかしいと思ったら、他紙で斎藤のキャバクラ代を出してインタビューさせてもらった記者がいたようなんです」(スポーツ紙記者)

https://news.infoseek.co.jp/article/cyzo_20160721_852161/より引用

斎藤佑樹には一度で良いから夢を見させて欲しい

プロ入りしてから故障による不運続き。

そんな身から出たよからぬ噂などで、かつてのハンカチ王子の影は全く見られなくなった斎藤佑樹。

しかし、斎藤佑樹に一度で良いからあの学生時代の勇姿をプロでも見せてもらいたい。

そんなことを望んでいるファンがほとんどではないでしょうか。

まだまだ投手としてもまだまだやれる年齢。プロでタイトルを取り復活する姿。

そんな姿を見せてくれることを一野球ファンとして望んでいます。