SixTONESの愛され最年長のリーダーの高地優吾さん。
高地優吾さんは一体どのような過去を送っていたのでしょうか?
今回はそんな高地優吾さんのジャニーズジュニア時代を入所日や入所理由などと一緒に詳しくお伝えしたいと思います!
目次
高地優吾のジャニーズ入所日や入所理由は?
入所日
髙地優吾さんがジャニーズ事務所に入所したのは2009年5月24日。
髙地優吾さんが当時15歳の高校1年生の時にジャニーズ事務所に入所しました。
多くのジャニーズJr.のアイドル達は小学生や遅くても中学生ぐらいに入所するパターンがほとんど。
なので、かなり遅咲きと言えるのではないでしょうか。
入所理由
髙地優吾さんの入所のきっかけとなったのは2009年から日本テレビで放送している『スクール革命!3年J組!』の企画の一つである『新入生オーディション」で見事最後に残ったのがきっかけ。
当時高校1年生だった髙地優吾さんですが、実は芸能界には全く興味がなかったそう。
しかし、中学の同級生が勝手にこのオーディションに応募し、トントン拍子で応募者約1300人の中から番組のオーディションも勝ち抜き、ジャニーズ入所になることに。
まさに、シンデレラストーリーのような入所経緯をしています。
高地優吾のジャニーズジュニア時代について
さて、そんな高地優吾のジャニーズジュニア時代は一体どんな感じだったのでしょうか?
ジュニア時代①B.I.Shadow
高地優吾さんは2009年の入所直後に2008年に結成されたジャニーズJr.内のグループB.I.Shadowに加入。
このグループはテレビドラマ『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』の出演者である現在SEXYZONEの中島健人さんと菊池風磨さんと現在俳優の高畑岬さんを中心に結成。
その後、現在SixTONESで活躍中の松村北斗さんと高地優吾さんが加入し最終的には4人で活動していました。
今思うとかなり豪華なメンバーですね〜。
高地優吾さんいわく、B.I.Shadowとして活動することを知ったときも、うれしいどころじゃなくて、まったく知らない世界だったからテンパっていたそう(笑)
最初のころは、「オレは今、何をやってるんだろう…」って夢見心地だったなぁ。と語っています。
こちらは少年クラブで披露した『ララリラ』。※動画は削除されました
このとき高地優吾さんは入所1ヶ月 、松村北斗さんは入所4ヶ月、すでにステージ慣れしているふまけんの横に並んでこれだけできたらすごいですよね…
また、この当時から高地優吾さんはグループでも愛されキャラだったようで、インタビューで中島健人さんや菊池風磨さんは高地優吾さんのキャラクターについて以下のように語っています。
ユーゴリアン(高地)はとにかく”なごませる”のが得意。緊張してる現場も、彼が何か言ったりやったりすると、その場がなごむんだよね。(健人)
高地はあかるいよね。怒られても”あっ、今間違えましたよね〜。ここですよね!”ってケロッと明るいリアクションなんだよ(笑) “ターンしたとこですよね。…え、そこじゃない?”って、横で聞いてるとコントみたい(笑)(風磨)
その後、2009年6月には関西ジャニーズJr.の中山優馬さんが加わり、『中山優馬 w/B.I.Shadow』でも活動。
このグループはあくまでも中山優馬さんとB.I.Shadowのコラボグループであり、合体したわけではありません。
この中山優馬 w/B.I.ShadowはCDデビューも果たします。
デビュー曲の「悪魔な恋」は中山優馬さんが主演を務める2009年7月7日スタートのフジテレビ系ドラマ『恋して悪魔〜ヴァンパイア☆ボーイ〜』の主題歌に起用されました。
しかし、2011年秋に、Sexy Zoneのデビューに伴い、中島健人さんと菊池風磨さんの活動がSexy Zoneメインになったため自然消滅。
今では幻のグループとなってしまいました。
また、B.I.Shadowが解散する前は中島健人さんと菊池風磨さんの『ふまほく』ペアと松村北斗さんと高地優吾の『ふまほく』ペア
このペアは平等とは言えずソロがあるのも、ドラマにでるのもいつもふまけんだけであり、そんな光景にはファンからも格差が囁かれていました。
今思うとこの時は完全なバランスが取れたグループとは言い難かったのかもしれませんね。
しかし、時が経ちSixTONESでデビューを果たした二人。もし一瞬でも再結成する機会があれば、とんでもない輝いたグループになることは間違いないでしょう。
また、高地優吾さんも少クラの手紙で“あの時掴めなかった幸せの4枚の葉を6つの石で掴み取りに行きましょう” こんなことを語っています。
この意味はつまり、4枚の葉=「ララリラ」6つの石=「SixTONES」という事を指しており
本人もこのB.I.Shadowの自然消滅は心残りに感じているようで、SixTONESの活動はきっとB.I.Shadowで成し遂げられなかったデビューの思いも背負っていることでしょうね。
ジュニア時代②NYC boys
また、2009年6月には中山優馬 w/B.I.ShadowにHey! Say! JUMPの山田涼介と知念侑李が合体したNYC boysが結成。
『女子バレーボール ワールドグランプリ2009』のスペシャルサポーターにも抜擢されました。
『女子バレーボールワールドグランプリ2009』のイメージソングである「NYC」も発売
ちなみにこのとき高地優吾さんは入所2ヶ月目ですからね…(笑)
そして、それだけではなく、その年の紅白歌合戦にも出場。
Jr.のユニットとしては異例のグループでした。
入所した年に紅白に出場するというとんでもないスピードで出世していった高地優吾さん。
当時の様子をこのように語っています↓
事務所に入って、無事1年が経過!最初はわからないことだらけでポカーンとしてたから「高地、やる気あんのか?」って見られてたと思う。
最初のころは、「オレは今、何をやってるんだろう…」って夢見心地だったなぁ。
このように振り返っており、スピード出世過ぎてきっと本人もその早さについて行けなかったことでしょうw
ジュニア時代③私立バカレア高校
2012年4月から日本テレビで放送されていたテレビドラマ『私立バカレア高校』に出演した高地優吾さん。
この『私立バカレア高校』といえば、今も語り継がれるSixTONES結成のきっかけとなったドラマでもあります。
デビューを夢見ていたB.I.Shadowの消滅で絶望に落とされた高地優吾さんですが、まだ神様は見放していなかったのでしょうね。
このドラマは本人のドラマ出演という以外に『仲間との出会い』という非常に大きなターニングポイントとなったお仕事でした。
特に、この私立バカレア高校時代は現在同じSixTONESのメンバーであるジェシーさんと仲が良かった様子。
当時の撮影の様子を以下のように語っています。
撮影合間はジェシーとずっとバカ話してたよ。二人でお笑いコンビ組んで、デビューしようぜとか、それ用のお笑いのネタを考えたりとか、ホントおバカなふたりだったね(笑) 【高地優吾】
この友情は今はSixTONESの同じメンバーとなり続いている。
そう考えるとエモさしか感じませんね….
高地優吾のジュニア時代のまとめ!
スク革の1300人超のオーディションでレギュラーを勝ち取って入所。
そしてすぐにB.I.Shadowというユニットで活動しトントン拍子のように思えたアイドル生活もその後ユニットは解散。
その後はバカレア高校のキャストに選出されるも、長いトンネルに入り不遇の日々が続く・・・
しかし、そんな2015年にSixTONES結成。ジャニーさんに「いるだけでいい」「キーマン」と言わしめた男、それが高地優吾。
そんなシンデレラストーリーはまだ始まったばかりですね!